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奈良地方裁判所 昭和45年(わ)65号 判決

主文

被告人を懲役五年に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

押収してある麻酔済ラボナール注射薬一本(昭和四五年押第二二号の二)、同空アンプル一本(同号の三)、ラボナール専用溶解液一本(同号の四)、同空アンプル一本(同号の五)はいずれも被害者相原第二病院に還付する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、肩書本籍地の高等学校を卒業後私立大阪物療専門学校を経て昭和三六年五月頃診療放射線技師(所謂レントゲン技師)の資格を取得し、同三七年三月頃から大阪市阿倍野区阿倍野筋三丁目一二番一二号所在の相原第二病院放射線科レントゲン技師として勤務していた者であるが、

第一、同四四年七月初旬頃、偶々新聞記事で三重県下において医師と偽り性病検査の口実で各戸を訪れ検査料名下に現金を詐取している者のあることを知るや、おりから女性関係が原因で夫婦間の円満を欠き性的不満を抱いていた被告人は右新聞記事を模し職業柄医師を仮装し易く麻酔注射の心得もあり、加えて勤務先病院から麻酔剤注射器具等を容易に持ち出せる状況にあることを奇貨として婦女に対し保健所から予防注射に赴いたと装い麻酔剤を注射し婦女の心神を喪失せしめて姦淫するとともにあわよくば金員を盗取しようと企図し、同年九月一〇日午後零時三〇分頃、○○市○○区○○×番地の×所在の○○マンションB館四階五号室甲野花子(当二八年)方に赴き、同女に対し「保健所から日本脳炎と性病の予防注射に来た。」旨申し向け同女をして真実保健所係員が予防注射施行のため各家庭を巡回しているものと誤信させて注射することを承諾させ、即時同所玄関先板間において同女の右腕静脈に所携の注射器および黒色ゴムく結帯(昭和四五年押第二二号の一六)を使用し、麻酔剤ラボナール液を注射して同女をその場に昏睡させ、同女をして心神を喪失せしめたうえ同女を抱きかかえて同室奥居間のベッドに仰臥させ、先ず同居間の宝石箱抽斗内にあった同女所有にかかる現金一〇、〇〇〇円を盗取し、次いで同女の下半身を裸にし同女を姦淫しようとしたが陰茎が勃起しなかったためその目的を遂げなかった。

第二、同四五年二月一九日午後零時四〇分頃、○○府○○市○○×丁目×番×号所在の○○マンション二階乙村一郎方に赴き、同人の妻乙村星子(当二一年)に対し前同旨の如く申し向け前同様の方法で同女の左腕静脈に麻酔剤ラボナール液を注射して同所玄間先板間に昏睡させ同女をして心神を喪失せしめたうえ同女を抱きかかえて同室奥居間に仰臥させ着用のスラックスおよびパンティを膝まで脱がして同女を姦淫しようとしたが、同女が呻き声を出し身動きしたためこれに驚き逃走しその目的を遂げなかった。

第三、同年四月一六日午後四時頃○○県○○郡○○町大字○○×番地の×所在の○○荘アパート二階一五号室丙山二郎方に赴き、同人の妻丙山月子(当二七年)に対し前同旨の如く申し向け前同様の方法で同室奥居間に同女を仰臥させその右腕静脈に麻酔剤ラボナール液を注射して同女をその場に昏睡させ同女をして心神を喪失せしめたうえ同女の下半身を裸にし姦淫しようとしたが性器交合に至らずして射精したためその目的を遂げなかった。

第四、別紙犯罪表記載のとおり他人の財物を窃取したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(検査官の主張に対する判断)

第一、判示第一乃至第三の各所為につき検察官主張の本位的罰条を適用し予備的罰条を適用しなかった理由

(一)  検察官は前記各所為につき予備的罰条として刑法一八一条(一七七条前段)、二三六条一項を追加請求し、その理由として姦淫行為については麻酔剤ラボナール液の注射行為を暴行に、麻酔効果による心神喪失状態の惹起を傷害に各該当すると評価し、従って同法一八一条(一七七条前段)の強姦致傷罪を構成するとともに盗取行為についても注射行為を暴行と評価して同法二三六条一項に該当すると謂うにある。

(二)  そこで右請求の当否を考えるに、刑法一七七条は暴行を以って婦女を姦淫した者は強姦罪として処断する旨規定し、同法一七八条は婦女をして心神を喪失せしめて姦淫した者は準強姦罪として前条の例による旨規定している。かかる法条の配列を考慮すると暴行によって婦女をして心神喪失せしめて姦淫した者の場合も同法一七七条に該当するものと解すべきである(最判昭和二四・七・九刑集三・八・一一七四頁)ところで刑法一七七条に所謂暴行とは同法二〇八条に謂う暴行とその程度を異にして婦女の反抗を著しく困難ならしめる程度のものたることを要すると解されているから、婦女をして心神を喪失せしめた場合においても婦女の反抗を著しく困難ならしめる程度に至らない暴行がなされたときは同法一七七条には該当せず、同法一七八条に謂う心神喪失せしめるという構成要件に該当するにすぎないと解すべきである。換言すれば同じく心神喪失の状態を惹起せしめたる場合においてもその状態惹起の方法が婦女の反抗を著しく困難ならしめる程度の暴行によるものであるか否かによって両法条のいずれを適用すべきかの差異を生じることになるものと解するのを相当とする。

(三)  右法解釈に鑑み本件犯行手段たる注射行為を検討するに、前記判示のとおり被告人は保健所係員を装い婦女に対して日本脳炎の予防注射に赴いた旨詐言を弄しその旨誤信した婦女の承諾を得て注射行為をなしているのであるから、かかる状況下における注射行為は婦女に対する不法な有形力の行使として刑法二〇八条の暴行罪に該当すると認められても未だ同法一七七条に謂う婦女の反抗を著しく困難ならしめる程度の暴行とは認めがたく、むしろ同法一七八条に謂う心神を喪失せしめるための手段たる不法な有形力の行使に該当するに過ぎないと考えるのが妥当であり、また盗取行為についても同趣旨から同法二三九条をもって処断するを妥当とする。

第二、準強姦未遂を認め既遂を認めなかった理由

(一)  被告人は当公判廷(第二回、第四回)において甲野花子および丙山月子に対する姦淫行為につき未遂である旨供述し、捜査段階において司法警察員(昭和四五年五月一四日、同月一六日、同月二一日付)および検察官(同年五月二三日付、同年七月七日付)に対する各供述調書に窺われる如く終始既遂である旨供述しており供述が齟齬しているので以下間接事実を綜合して考察してみることにする。

(イ) まず甲野花子関係についてみるに、警察技術吏員山野宏、同小林宏臣共同作成にかかる鑑定書によれば、本件犯行当日直後同女の腔内から抽出された体液および同女着用のパンティーならびに同女の唾液を資料として得られた鑑定結果によると、同女の腔内液より精液混在の証明が得られその血液型はA型であること、同女のパンティーの股間部内側付着の体液より精液の証明が得られその血液型はAB型であることおよび同女の血液型はA型であるとのことである。右鑑定は鑑定資料の新鮮さ、鑑定者の資格および鑑定時未だ被疑者不詳の段階にあったこと等から精確かつ慎重を期して行われたと考えられ高度の信憑性を有すると認められるところ、警察技術吏員池田義照作成の鑑定書によれば被告人の血液型はO型である旨鑑定しているのであって、右両鑑定結果を比較すると被害者着用のパンティーおよび被害者から抽出された体液内には被告人の血液型に符合する精液を認めることができない。

ところで精液等の体液と人血とが同一の型状を示すことは絶対的ではないけれどもきわめて高度の蓋然性を有するものであることが法医学的に証明されている。従って右経験法則に鑑みれば被告人の姦淫したとの供述はその信憑性を著しく欠くことになる。また本件が準強姦事件として発展していった経緯をみるに、被害者甲野花子の供述調書によれば「同女は意識を回復した後自己のおかれた異常な立場に気づき、まず預金通帳、現金、貴金属品等が盗取されたのではないかとの疑念を抱き室内を約一〇分間にわたって調べるうち現金一万円の紛失していることを発見し、その後尿意を催し便所に行った後派出所に赴き財物盗取の被害申告をした。その後自宅を訪れた警察官から陰部に異常がないかとの質問を受けたがその時は羞恥心とともに着用のパンティーははいていたままの状態であり又陰部が濡れている様子もなかったので異常はない旨答えた。しかし警察官の忠告に従って婦人科医の診察を受けたところ腔内に精子の存在を告知されはじめて自己が姦淫されたとの考えを抱くに至った。その理由とするところは自己の恋人(捜査機関に対しては匿名にして欲しい旨供述している)と被害当日より約四日前に性交渉をもったがその際いつものとおり簡易ビデという洗浄剤を使用しているため男性精液の存在ということは考えられないと確信する。」と謂うにある。右供述に基づいて被害直後の情況を仔細に検討してみると、まず性交渉をもった場合、男性の精液が腔外に漏出することが考えられるところ、同人は意識回復後盗難の有無を知るためにかなり無雑作に身体的活動をしているのにかかわらず漏出の徴候を意識しておらず、また前記鑑定結果によってもパンティーに被告人の血液型と符合する精液付着の事実は認められていない。なる程同人は過去の性経験から精液が漏出することについては知悉しているものの意識回復直後のため精液漏出の有無にまで注意がはたらかなかった旨供述しているが、盗難の被害の有無について配慮している同人が一面識もない男性にかなり長時間にわたって昏睡状態に陥らされ、そのうえ便所にまで行っておりながら自己の貞操侵害の有無について疑念を抱かなかったということはきわめて不自然であることからして少なくとも同人は姦淫されたことを示す外形的な形跡らしきものすら全く認めていなかったと推認できる。同人の姦淫された旨の供述は直接姦淫行為自体を現認したものと異なり洗浄剤簡易ビデの使用に依拠した同女の確信という主観的なもので首肯するに足りず加えて本件の発覚経緯、犯罪の特異性等から女性心理の微妙な推移が多分に供述内容に影響を与えていると考えられるところもあって同女の姦淫された旨の供述をにわかに措信することはできない。

(ロ) つぎに丙山月子関係についてみるに、警察技術吏員疋田圭男、同池田義照の各鑑定結果から同女宅より押収した座布団に被告人の血液型と符合する精液付着の事実が認められるところ、右事実は被告人が当公判廷において供述している如く性器交合に至る前に腔外に射精した事実を裏付ける証拠になり得て直ちに既遂の事実を裏付ける証拠にはなり得ない。同女の姦淫された旨の供述は全く憶測に依拠したものでその信憑性はきわめて乏しく既遂についての証拠としての価値はない。その他姦淫既遂である旨の被告人の供述を裏付けるに足りる証拠がない。

(二)  ところで検察官は被告人に女性関係の多いことをもって性的能力の強靱さを推認し被告人の主張事実を否定する資料として主張するが、関係各証拠から被告人の通常人以上の性的関心の強さを推認することができ姦淫の意思を認定する資料にはなりうるが右事実は未だ本件の個々の行為につき既遂であると認定しうる証拠としては不十分である。

(三)  以上の諸点からして被告人の捜査段階における各自白は客観的状況に符合しない点が認められるのみならずその他本件に顕われた全証拠を総合してみても被告人の姦淫行為の既遂を認めることができる証拠は十分でなく、結局既遂の点についてはその証明がないことに帰する。

(量刑の理由)

本件各犯行は自己の性欲を満足させんがために計画的に敢行されたものでありきわめて巧妙で知能犯的である。また本件関係証拠から窺われる如く多数の女性を物色した形跡が認められかつ犯行の用に供せられた麻酔剤ラボナール液は被告人も知悉しているとおりその使用方法を誤まれば人の生命身体に危険をおよぼす劇薬であることに鑑みると社会に与えた影響も大きくその刑責を軽視することはできない。殊に被告人は高等教育を受け通常人以上に是非弁別の能力を具備していると思料されてしかるべきところ私生活における女性関係は社会の常軌を逸したものといわざるを得ずかかる無節操がそのまま本件犯行に具現したと考えられるのであって女性の名誉や貞操に対する規範意識はきわめて低く、その犯情は悪い。が反面、前科前歴もなく又取得したレントゲン技師の資格を剥奪されることが予想されるうえ身辺の整理をして自己の非を深く反省している等の情状も認められる。

以上の情状を考慮して量定した。よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 篠田吉之助 裁判官 高橋一之 大山隆司)

〈以下省略〉

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